【連載22】特別編:ヨーロッパレポート スキーヤーはどこに消えたのか? Shiga Zin


※連載22は、独立となります


スキーを楽しむ志賀Zinさん


ミュンヘン市内のど真ん中。スターフスプラッツ(広場)にできた天然のスケートリンク。貸し靴などが用意されている

ハンネス・マーカー夫人であったFrau Dr.Aoi。
マーカーは、スキーの安全締具の開発で世界をリードし。一時は、世界中にマーカービンディングが普及した。彼は私の古い友人であった。

◆何とヨーロッパは1929年以来の大雪

 今年のヨーロッパの冬は寒い。12月に入って1週間ほどドイツ国内を歩きまわって、ミュンヘン、ニュールンベルグ、バンベルグ、エアランゲンと訪れたのだが、その間、全く太陽を見ることはなかった。来る日も来る日も暗く寒い日ばかり、冷たい雨が降り雪が舞っていた。
ドイツの人々は、「こんな冬は記憶にないよ」と語っていたが、有名なニュールンベルグのバイナハツマルクト(クリスマスマーケット)も寒々として、人出は少なく淋しいもの、今ではニュールンベルグより盛大になったミュンヘンのマリエンプラッツのマルクトも雨と雪にぬれて、泥だらけ。いつもの年の華やかさは全く消えていた。
このホッホグーグルまでの道は、真っ白。何とヨーロッパは1929年以来の大雪ということで、どこのスキー場も雪は充分で気温が低いため雪のコンディションは、最高とのこと。


いつもなら、多くの人出で賑わう、
マリエン・プラッツのバイナハツマルクト、
今年はあまりの寒さに人出が少ない。

NuernbergのWeihnachtsmarkt
を訪れる。ここも淋しい。

有名なニュールンベルグのクリスマスセール
ここも全く淋しい。参考までに例年の風景を(右の絵葉書)お見せしよう
絵葉書

◆スキーヤーは何処に消えたのか?

  そうしたスキーヤーにとっては嬉しいシーズンと思えるのに、何とこのスキー場の人影は極端に少なくなっているのです。
”スキーヤーは何処に消えたのか?”
このテーマから書き始めるレポートは気が重い。 昨シーズン、私はヨーロッパにスキーが戻って来たと報告し、スノーボーダーが消えたとも書いた。だが今、このホッホグーグルに居て、そのレポートを書き直さなければならないと思う。
20年を越えるこのホテルの常連さんのドイツの歯医者のローランド・ヘンネルさんと、ここのスキー場で起きている状況を話し合った。スキー客が減った理由について彼は、「今年は、どこも雪が多く、バイエルン地方の小さなスキー場も滑れるようになっているから、こんな遠い、しかも金のかかるところにはスキー客は来ないんだよ」と原因の第一に、気象条件を上げた。そして言葉をついで、ドイツの経済不況の深刻さを語った。
ローランドの一家は、次の日、車に荷物を満載して、700キロ離れたドイツのカッセルに帰っていった。ここで私と付き合うようになって25年以上たつと思うのだが、彼の独身時代から思い返しても、大晦日をここで過ごさずに帰宅したのでは初めてなのである。


ホッホグーグル
リフトもガラガラ
誰も滑っている姿を見かけません
写真は、志賀さんのご夫人

クリスマスディナー タキシード着用して

クリスマスディナー

3080メートルの山頂からイタリアのドロミテ。
山頂には人工降雪機が設置してあるが、
雪がたっぷりあるので出番はなし。


山頂小屋のトイレ。
国境線の上にあり、トイレはイタリア側にあって、
オシッコ、ウンコは、
イタリアの氷河に落ちていく…?

◆ホッホグーグルは贅沢なスキー場?

  大金持ちの歯医者さんでもここでの長いスキー休暇は、ぜいたく過ぎると言う事なのだろう。他の常連さん達も、皆、ここでの滞在を短くしている様だ。例年だと、クリスマス前に来て、正月を過ごしてから帰るのがヨーロッパのお金持ちたちの習慣になっていたのだが、そうした長期滞在のお客は減っている。
24日のクリスマスイブのガラディナーの席にも空席があったのである。25日になってようやくこのホテルは満室になったけれど、スキー場は人影は相変わらずまばらである。
26日の昼間オーバーグーグルの村に遊びに行ったのだが、その道路には、車や人が溢れていた。有名なレストラン「ピクニック」で昼食となったが、そこの親父クリスチャン・シャイバーは、日本にも2度も来た国際派、日本がいかに金のかかる場所かとその経験を笑いながら語っていたのだが、「ここには、まだ人がいるではないか」との問いかけに「あヽこの村には安いホテル、ペンションがいっぱいあるから、若い連中も来られるんだよ」、ここに泊まって、うまい奴らは、滑るためにホッホグーグルに行けばいいのさ。それにここには夜中まで遊べるところがたくさんあるからね。高いホッホグーグルはお金持ちだけの上品なスキー場なのさ」と笑った。
私たちの泊まっているアンゲラルアルムのボス、ギディ・アッカホルナーは、かって、オーバーグーグルのブンデスハイムでスキー教師養成の責任者を努め、フランツ・ホッピッヒラー教授が統いていた当時のナショナルチームのヘッドコーチを努めてその後、ナショナルチームの監督となった、オーストリアスキー界のスーパーエリートだが、彼は、ドイツの経済不況が最大の理由だが、ここ何10年間ヨーロッパ全般に雪が少なく、ここにだけ雪があるという状況が続き、ハイシーズンには吸収できないぐらいの人が押しかけた。そのため、そのお客さんを満足させるために、リフト、ゴンドラといった施設を充実させ、ホテルも改造を繰り返したため、リフト代も高くなり、ホテルの宿泊費も高騰してしまったという状況になったら、ドイツ人達は、安く遊べるバイエルンの森の中のスキー場に行ってしまうよ」と語った。


表のT SKI Pass Winter 2005/2006 (スキーパス 2005〜2006冬季)
左側が一般のシーズン、右側がハイシーズン、一番左が、購入時間と、料金で、
朝9時から滑りたい人は、37€、朝食をのんびりして午後からと言う人には28€、
更に13時からだと25€、14時からだと20€と安くなる。
天候や体調を見てゆっくりという人にはうれしい割引だ。
その左の一般の人の次の欄は60歳以上のシニアパス、
そしてその次が、16歳以下のキッズパスとなっている。

◆スキーパスの料金とシステム

  巨額な設備投資がこのスキー場をヨーロッパでいちばん人気のあるスキー場に押し上げたが、それが、今、このスキー場はをヨーロッパでいちばんお金のかかるスキー場にしてしまったのである。
「よそのスキー場に雪がなくなるオースターになればスキーヤーは戻ってくるさ」ギティはそう言って笑った。
このホッホグーグルがどのくらい金のかかるスキー場なのか、そして私たちの泊まっているアンゲレルアルムがどのくらい金がかかるか料金を紹介してみよう。
まずスキーを滑るために必要なスキーパスの料金だが、1日券は37ユーロ日本円に換算すると5200円、3日券は93ユーロ(1万3000円)、10日券なら238€(3万3300円)となる。ところがハイシーズンだと、その値段は、1日券38€(5320円)、10日券260€(3万6400円)となるのである。
ちょっと話が外にずれるが、この表を見ている人は気づくはず、それはリフト券の値段が、買う時間によって違っているということだ。朝9時から動き始めるリフト、ゴンドラに乗る熱心なスキーヤーは1日券37€で、朝食をのんびりとって腰を上げるスキーヤーは11時になってリフト券を買えば32€、さらに「今日は天気がいいから午後から滑ろうというなまけ者は13時からの25€でいい。さらに14時からちょっと滑ってみるかといったお年よりは20€となるのである。
私のオクサンは元気だから20日間の通し券を買ったが、悪天候で全く滑れなかった日が4日、また午後は私の散歩につき合った日が5,6日とあっては、通し券は高いものにつく筈。私は天気のいい暖かい日だけ午後から滑るパスを買ったから、さて、その料金はいくらになったろうか。これは親切な料金設定と言っていい。


不景気と正月休暇も終わって、
スキー場はガラガラ
ホテル 

◆ホテルの料金は

 そしてホテルの料金は、ハイシーズンの今、1人1泊166€(2万3300円)、2人で泊まっていて、昼食を食べ夕食にワインなど飲むとすれば、1日で5万5000円は払わなければならない。
私たちが20日間ここに居るのだが、このホテルの支払いは軽く100万円を超えることになる。私はこのホテルでは、家族のように扱われているので、その支払いはほぼ半額にしてもらっているのだが、それでもヨーロッパでスキーをするというのは、かなり贅沢な遊びなのである。


レンタルスキーのパンフレット
チューニングマシーン

◆この10年の間に、貸しスキーのシステムが完成

  ところで、ヨーロッパの街でこの2,3年、気づかせられたことがある。それは街の中でスキーをかついでいる人の姿がないと言うことである。今回まわった5つの街でスキーを持った人は、インスブルックの駅で、たったひとりの若者の姿をみかけただけ、街からスキーヤーは消えてしまった。
その理由を何人かに聞いてみた。「スキー場に来て、いいスキーが借りられるから、その方が安心だし、年間5,6回10日程度しかスキーをしない人には、その方が経済的だよ」と語った。
ヨーロッパでは、この10年程の間に、貸しスキーのシステムが完成して、実に合理的な業態が生まれている。例を上げれば、ヨーロッパ全地域に展開しているインタースポーツと呼ばれる巨大なスポーツ用品店が、どのスキー場でもレンタルスキーを貸し出している。
このホッホグーグルにも2軒のインタースポーツがあり、スキー用具の全てを扱い、貸しスキー、貸し靴、そして修理を行っている。
その様子は、日本の同業の状況からは想像を絶するものなのである。インタースポーツが配っているパンフレットを紹介しよう。「レント」アラカルテと書かれた小さなパンフレットだが、そこにはこの店が扱うスキー用品の情報があり、リフトやコースの紹介そして全ての料金が書き込まれている。そのパンフレットの貸しスキーの部分をお見せしよう。左頁が貸しスキーの料金表である。VIPという最高のスキー(市場値段が800ユーロ、日本円で11万円以上)が1日27ユーロ(3800円)、6日間で147ユーロ(2万600円)、2段目のスーパーというクラスは市場で500ユーロ(7万円)で売られているレベルのスキーで1日21ユーロ(3000円)、6日間111ユーロ(1万5500円)となっている。
右ページの上段は、スキーサービス(修理・チューニング)の料金で、エクスプレスサービス(10分か30分程度待たされる)が、17ユーロ(2千400円)で一晩あずけるレーシングサービスが33ユーロ(4600円)。
ここの修理、チユーニングは最新のマシンを入れ、経験豊かな技術者によって、ほぼ完璧である。インタースポーツのこのレンタル方式は、ヨーロッパのスキー場のどこでも受けられる様になったが、このシステムに付随しているサービスには驚くべきものがある。

表のU 中の頁がレンタル料金、右側はサービス料金
最級のVIPなら1日27€、3日78€、6日147€でその後は1日15€づつ加算する。
スキーサービスは極めて早く、しかも日本に比べると安い。うらやましいシステムである。
いちばん左頁に今シーズンから始まった超スピードのサービスを知らせる書き込み、
10分待っただけで、ほとんどのサービスが受けられる。
このスキー場の一番下のゴンドラ駅の中にある。朝は混んでいて長い時間並ことがある。
その時間を利用して、サービスが受けられる。

◆いたれりつくせりのサービス

  例えば、6日間のレントをすれば、1日滑って夕方に店に持ち帰れば、そのスキーは次の朝までにきれいにチューニングしてくれるのである。又、1日滑ったスキーが気に入らず、次の日は別なスキーに替えてくれと申し入れれば何回でもスキーを変えることが可能なのである。
私たちと30年を越える付き合いのある、このホテルの常連の大金持クローネンベルガーさんの一家から聞いた話だが、来てから2日間ほどの間に4種の新製品を試し、その中に気に入ったスキーがあったので、そのスキーを買いたいと言ったら、新しいスキーにバインディングをつけて、サービス値段で売ってくれて、その上2日間のレンタル料を返してくれたという。いたれりつくせりのサービスではなかろうか。
インタースポーツのこうしたサービスが普及したため、街のスポーツ店でスキーを買うという人の数は減ってしまったのである。
ホテルのスキールームの中にも、インタースポーツのラベルが貼ってあるスキーが増え、リフトに並ぶ人のスキーにも、コースを滑っている人のスキーもレンタルが多くなっている。1年に2,3回、1週間程度のスキーをする人なら、毎年、毎回、最高にチューニングしたスキーに乗れるこのレンタル方式を利用するほうがいいと考えられるだろう。
私は毎年新しいスキーを持ってここに来て楽しみ、帰り際にインタースポーツのレーシングサービスで修理して、ホテルに授けて帰る。今シーズンもスキールームに私のきれいに整備されたスキーが6台並んでいた。
私は、ギディに話して、そのうちのやや長くなったスキー3台を従業員のスキーにしてくれと頼んだ。休みをもらった従業員たちにとっては夢の様な楽しいスキーができるようになったと喜んでもらっている。
久し振りに訪れた寒い冬、雪のタップリある、どこのスキー場も滑れるヨーロッパでどこまでスキーが復活するか、見守りたいと思う。

◆スノーボーダーは

 私は、昨シーズン「ヨーロッパからスノーボーダーが消えた」と報告したが、今シーズンちょっと違った風景が見られるようになった。私の泊まっているホテルのスキールームには、わずか2、3台のボードが置いてある。そのうちの1台は、この家の孫娘アリスのもので、アリスは生まれたときからここの雪の中で育った女の子で、今14歳になってもボードが好きで、時々、ひとりでボードを楽しんでいる。そのアリスを除けば、このホッホグーグルでボードに乗る子はいない。ここのスキー場に関しては、私の昨年のレポートに誤りはない。ところが、たまに遊びに行く下の村オーバーグーグルではボードをかついだ若者を見かけることがある。
「ピクニック」の親父の話だと、下の巨大なスキー場ゾルデンに行けば、まだたくさんボーダーはいるよと言う。そして「奴らは安い宿をさがし、夜中まで騒げるところがあるゾルデンに来るのさ、そして夏になればイタリア、スペインの海に行って、サーフィンやウインドサーフィンをやり、夜まで騒いでいるんだよ」と説明してくれた。
わずかな数のちょっぴり不良ぽい若者たちの遊びとしてまだスノーボードは生きているのである。

◆この一家はオーストリアスキー界の誇り


快挙を伝える新聞
新聞の写真をアップに

ホテルオナー夫妻とお孫さん

 私の泊まっているアンゲレルアルムのオーナーがギディだと紹介し、その経歴が輝かしいものだと書いた。しかし、その一家についても紹介しておかなければなるまい。先ず、昨年暮れ75歳で亡くなったヨゼフ・シャイバーがこのスキー場を開いた開拓者であり、オーストリアで有名な狩猟の名手であったということであり、このエッツタール(エッツの谷)では尊敬を集めていた、いい親父であった。ヨゼフとマルグリットという嫁さんとの間に4人の娘をもっていたが、長女のロスミッターがギディと結婚して、このホテルをひきつぎ経営にあたっている。4人娘全てスキーの名手だったが、二女のウーシィ、三女イングリットは、オーストリアナショナルチームのメンバーとして、ヨーロッパカップ、ワールドカップを戦い、その後、2人ともスキー教師として、lここで働いていた。そして、ロスミッターの長男アルミンもワールドカップを戦い、今ではオーバーグーグル、ブンデスハイムの教官として、スキー教師の養成の仕事をしている。そのひとり息子の恋人のニーナは、このホテルのサービスの仕事を手伝っているが、なんと彼女は、今シーズン始まる直前11月30日から12月4日まで、スウーデンの北限、ラップランドの早い雪の中での世界スキー教師選手権大会のオーストリアチームのメンバーとして出場(日本の技術選のようなものだが、GS,SLはタイムレース)、優勝、世界チャンピオンとなった。
その快挙を伝える新聞を紹介したい。とにかく、この一家は、オーストリアスキー界の誇りなのである。
今日は1月6日、昨日に続いて快晴無風気温も0℃を上まわる絶好のコンディション、それなのにスキー場には人影はまばら、あーあもったいない。


ミュンヘン
今年のテーマは「ライオン」
大晦日は和服で(ホテル)


連載「技術選〜インタースキーから日本のスキーを語る」 志賀仁郎(Shiga Zin)

連載01 第7回インタースキー初参加と第1回デモンストレーター選考会 [04.09.07]
連載02 アスペンで見た世界のスキーの新しい流れ [04.09.07]
連載03 日本のスキーがもっとも輝いた時代、ガルミッシュ・パルテンキルヘン [04.10.08]
連載04 藤本進の時代〜蔵王での第11回インタースキー開催 [0410.15]
連載05 ガルミッシュから蔵王まで・デモンストレーター選考会の変質 [04.12.05]
連載06 特別編:SAJスキー教程を見る(その1) [04.10.22]
連載07 第12回セストのインタースキー [04.11.14]
連載08 特別編:SAJスキー教程を見る(その2) [04.12.13]
連載09 デモンストレーター選考会から基礎スキー選手権大会へ [04.12.28]
連載10 藤本厩舎そして「様式美」から「速い」スキーへ [05.01.23]
連載11 特別編:スキー教師とは何か [05.01.23]
連載12 特別編:二つの団体 [05.01.30]
連載13 特別編:ヨーロッパスキー事情 [05.01.30]
連載14 小林平康から渡部三郎へ 日本のスキーは速さ切れの世界へ [05.02.28]
連載15 バインシュピールは日本人少年のスキーを基に作られた理論 [05.03.07]
連載16 レース界からの参入 出口沖彦と斉木隆 [05.03.31]
連載17 特別編:ヨーロッパのスキーシーンから消えたスノーボーダー [05.04.16]
連載18 技術選でもっとも厳しい仕事は審判員 [05.07.23]
連載19 いい競争は審判員の視点にかかっている(ジャーナル誌連載その1) [05.08.30]
連載20 審判員が語る技術選の将来とその展望(ジャーナル誌連載その2) [05.09.04]
連載21 2回の節目、ルスツ技術選の意味は [05.11.28]
連載22 特別編:ヨーロッパ・スキーヤーは何処へ消えたのか? [05.12.06]
連載23 90年代のスキー技術(ブルーガイドSKI’91別冊掲載その1) [05.11.28]
連載24 90年代のスキー技術(ブルーガイドSKI’91別冊掲載その2選手編) [05.11.28]
連載25 これほどのスキーヤーを集められる国はあるだろうか [06.07.28]
連載26 特別編:今、どんな危機感があるのか、戻ってくる世代はあるのか [06.09.08]
連載27 壮大な横道から〜技術選のマスコミ報道について [06.10.03]
連載28 私とカメラそして写真との出会い [07.1.3]
連載29 ヨーロッパにまだ冬は来ない 〜 シュテムシュブング [07.02.07]
連載30 私のスキージャーナリストとしての原点 [07.03.14]
連載31 私とヨット 壮大な自慢話 [07.04.27]
連載32 インタースキーの存在意義を問う(ジャーナル誌連載) [07.05.18]
連載33 6連覇の偉業を成し遂げた聖佳ちゃんとの約束 [07.06.15]
連載34 地味な男の勝利 [07.07.08]
連載35 地球温暖化の進行に鈍感な日本人 [07.07.30]
連載36 インタースキーとは何だろう(その1) [07.09.14]
連載37 インタースキーとは何だろう(その2) [07.10.25]
連載38 新しいシーズンを迎えるにあたって [08.01.07]
連載39 特別編:2008ヨーロッパ通信(その1) [08.02.10]
連載40 特別編:2008ヨーロッパ通信(その2) [08.02.10]
連載41 シュテム・ジュブングはいつ消えたのか [08.03.15]
連載42 何故日本のスキー界は変化に気付かなかったか [08.03.15]
連載43 日本の新技法 曲進系はどこに行ったのか [08.05.03]
連載44 世界に並ぶために今何をするべきか [08.05.17]
連載45 日本スキー教程はどうあったらいいのか(その1) [08.06.04]
連載46 日本スキー教程はどうあったらいいのか(その2) [08.06.04]
連載47 日本スキー教程はどうあったらいいのか(その3) [08.06.04]

連載世界のアルペンレーサー 志賀仁郎(Shiga Zin)

連載48 猪谷千春 日本が生んだ世界最高のスラロームスペシャリスト [08.10.01]
連載49 トニーザイラー 日本の雪の上に刻んだオリンピック三冠王の軌道 [08.10.01]
連載50 キリーとシュランツ 世界の頂点に並び立った英雄 [08.10.01]
連載51 フランススキーのスラロームにひとり立ち向かったグスタボ・トエニ [09.02.02]
連載52 ベルンハルト・ルッシー、ロランド・コロンバン、スイスDHスペシャリストの誕生[09.02.02]
連載53 フランツ・クラマー、オーストリアスキーの危機を救った新たな英雄[09.02.02]
連載54 スキーワールドカップはいつからどう発想され、どんな歴史を積み上げてきたのか[09.02.02]
連載55 東洋で初めて開催された、サッポロ冬季オリンピック[09.02.02]

※使用した写真の多くは、志賀さんが撮影されたものです。それらの写真が掲載された、株式会社冬樹社(現スキージャーナル株式会社)、スキージャーナル株式会社、毎日新聞社・毎日グラフ、実業之日本社、山と渓谷社・skier、朋文堂・スキー、報知新聞社・報知グラフ別冊SKISKI、朝日新聞社・アサヒグラフ、ベースボールマガジン社等の出版物を撮影させていただきました。

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