【連載38】新しいシーズンを迎えるにあたって Shiga Zin



横浜天王町のお蕎麦屋さん「伊豆庵」にて

◆新しいシーズンを迎えるにあたって

 わくわくする思いで新しいシーズンを待っている。10月27日28日のオーストリアのゾールデンのワールドカップ開幕戦を伝えるニュースを知り、いよいよ2008年シーズンが開けたことを実感している。
このレポートが日本のスキーファンに届けられる頃、私はヨーロッパで、新しいスキーシーズンを迎えているはず。
40年を越える長い間、追い続けたワールドカップの世界から遠ざかっているのだが、私の「ヨーロッパのスキーの今」を日本のスキーファンに伝えたいという意欲は今なお薄れてはいないのである。

◆ヨーロッパと日本の冬のスポーツ、その風土がまったく違う

  新しい2008年ヨーロッパはどんな世界になっているのか。新しい用具の開発によってスキー技術はどう進化しているのか。といったテーマは、日本のスキーファンには関心を寄せてもらえるテーマだと思っている。
「ヨーロッパのスキー場から若者が消えた。」
「スキーは今や金持ちの老人達の楽しみとなった。」
私は何話か前にそういったレポートを書いた。そして今、私はヨーロッパに起きている事態は、いつ日本に訪れるだろうか、を考えている。
「イヤー!! 日本では志賀さんの見方のようなことは起きませんよ」
「日本では、スキーはまだ若者たちの憧れのスポーツですよ」
といった声が聞こえてくる。ヨーロッパと日本の冬のスポーツ、その風土がまったく違っているということをそれらの声は伝えてくれる。
ヨーロッパには、サッカーという若者たちを惹きつけるスポーツがあり、自転車というスポーツが若者たちの夢のスポーツとしてある。そうした背景の中でスキーは「子供たちにあんな贅沢な遊びをさせてはならない」とする意識が、浸透しているのである。

◆今、スキースポーツは、見せる側と見る側に二分されている

  ヨーロッパでは、今、スキースポーツは、見せる側と見る側に二分されているのである。子供の頃からスキーのうまい子供と言われた子が成長して、スキー選手になると言うケースはない。スキーができる環境にあった子供たちが、きびしいトレーニングに耐えてスキー選手となり、テレビでそのすべりを披露するという「見せる側のスキーヤー」になる。一般の家庭に育った子供たちは大人になって、お茶の間でスキーレースを観戦するファンになるという二分化が進んでいる。20年程前ドイツの金持ちのお医者さんの息子、クリスチャン・ノイロイターが活躍したという状況は、もう起きるはずがない。
見られる側に立つか、見る側に居るか、それはその子が生まれ育った環境によって決まってしまうのである。

◆日本でも同じような状況が生まれている

  日本でも同じような状況が生まれている。「米のメシを腹いっぱい食べられる」ということで相撲の世界に飛び込んだ若者たちは多い。しかし今では、腹いっぱいに食べられるということは当たり前のことになり、「お前は体が大きいから相撲に行け」という親たちもいなくなった。苦しい修行に耐えて関取となり、上位をねらうといった若者たちはモンゴルやグルジアといった貧しい国からしか出てこないのである。そうした環境の変化が、国技と呼んだ相撲が、ワールドワイドなスポーツになるといった現象まで生んでいると考えていい。

◆ホッホグーグルのアンゲラルアルムのシャイバー一族の状況

 スキーと日本の相撲の例を上げてみたが、同じような現象は他のスポーツでも同じといえるはず。私のヨーロッパにおける本拠であるホッホグーグルのアンゲラルアルムの近況を報告しておこう。40年前私が訪れた頃はこの家のシャイバー一族は、エッツタール地方で、スキーの名門と呼ばれた家族であった。親父のヨセフはスキーの名手として知られ、また狩猟の名手として知られた人物であった。その娘たち4人のうち次女のウーシー、三女のイングリットは、共にアルペン競技の世界に入りワールドカップ、ヨーロッパカップで活躍した。長女のロスミッターは1972年サッポロ、1976年インスブルックのオリンピックを戦ったオーストリア女子チームの監督としてその手腕をうたわれた名コーチであったギディと結婚しているが、その一族からも今は誰ひとりスキー競技に参入する子供はいないのである。
子供たちはテレビでワールドカップが放映される時、テレビルームに集まってそのレースを観戦している。完全に見る側のスキーヤーなのである。


SNOWSPORT AUSTRIA
新しいオーストリアのスキー教程、それは 全てのスノースポーツを網羅した。 スノースポーツ全集といっていい内容に なっている。美しいしかも正確な技術写真 を使ったこの 教程は、新しいオーストリアの スノースポーツの あり方の全てを 見せてくれる。

◆スノースポーツの集大成

 ヨーロッパへ出発直前新しいオーストリアのスキー教程が手元に届いた。美しい本である。“SNOWSPORT AUSTRIA“の表題でDIE OESTERREICHISCHE SKISCHULEと副題がついている。
この新しい教程は表題にある通りスキーに限らず雪の上のスポーツ全てが解説されている。従って頁数は400頁を越えて厚いどっしりした本に仕上がっている。
全体の構成を見ると、この国の雪のスポーツへの取り組みが良くわかる。前半の約半分243頁がアルペンスキーの頁である。アルペンスキーの内容は、最初はスキーの安全について、それに続いて123頁がアルペンスキーの技術に関する記述、その中には子供のスキー(33頁)、ハンディキャップスキー(62頁)と割りふられている。続けてスノーボードに30頁、ラングラウフスキーテレマークに12頁、さらにスキーの歴史、年表に20頁が割り当てられている。まさにスノースポーツの集大成といっていい内容である。


新しい教程の構成図。シュブングという言葉はなく、シュテムシュブングは消えている。

◆スキー上達の秘けつは「習うより慣れよ」が原則である

 美しい写真で飾られた頁を追っていくと、現在のヨーロッパの冬のスポーツワールドの楽しさ、そして自由さがうかがえる。
全てのスポーツを理屈っぽく語り、ことさら難しく解説を試みる日本のスポーツの風土を笑われているような印象を受けるのである。この本で紹介されているスポーツ全てに共通しているのは、“習うより慣れろ”という精神なのである。
スキーテクニックを扱った部分では、スキー用具を身につけて初めてスキーコースに立った人は、直滑降、斜滑降から、プルーク、そしてそこから一気にパラレルターンと話は進んで行く。かっての古い教程のプルークボーゲン、シュテムボーゲン、シュテムクリスチャニア、パラレルクリスチャニア、ウェーデルンといった長い練習の過程はここにはない。
子供たちが自然にスキーに身をつける過程を追った頁では、子供たちがプルークボーゲンから、両足を開いたパラレルシュブングに至る過程を紹介し、基礎的なパラレルから足をとじた高度なパラレルへの道を示しているのである。
そしてその次の段階では、急斜面の滑り方、コブの斜面の滑り方、深雪の滑り方となっていて、さらにかなり危険な、アクロバッティックスキーにまで話が進み、ハンディキャップスキー、レーシングスキーへと進んでいる。


初歩的なカービング

パラレルターンの解説
両スキーに乗り両スキーが常に
雪面をとらえていいる。

◆日本は頭でっかちなスキーヤーばかりが育っていく

  日本のスキーは、初歩の段階から技術は習うもの、学ぶものといった風潮があり、スキー学校に入り、先生について技術の細部にわたって教えてもらうというのがスキー上達の常道と考えている人が多い。そしてスキーに関する本を読む。それらの本、またスキー雑誌もほとんどのスペースは、技術の分析である。“習うより慣れよ”といったヨーロッパの常識とは全く異なった、頭でっかちなスキーヤーばかりが育っていく。
かつて私も長い間技術の解説に多くのレポートを書いてきた。今、私はそうした作業はいっさい止め、スキーの楽しさを伝える伝達者として皆さんの前に立ちたいと思っている。


急斜面の滑り方

新雪の滑り方

◆スノーボードに多くの頁が当てられている

  さて、この新しいオーストリアのスキー教程(そう呼ぶのも心苦しいのだが)の次のパートがスノーボードに当てられている。約100頁がそれに当てられている。私にとって意外なのは、ボードがアルペンスキーについで紹介され、多くの頁が振り当てられているという状況なのである。私は2年程前に“ヨーロッパではスノーボーダーは消えた”と書き、昨シーズンは、“ボーダーはアクロバティックなショウを見せるプロのスポーツとなり、一般の家庭の子供たちは、あんなダサイ、危険なことには挑戦しないだろう”と書いた。そしてスキー場でボーダーの姿を見ることは、ほとんどマレとなった。と報告している。その新しい雪のスポーツ、スノーボードにこれ程多くの頁をさかれているという事実をどう考えたら良いだろうか。

◆ボードが普及し始めた頃

  ボードという新しいスポーツが一般に普及し始めた頃、それは1980年を中心とする数年間であったが、私はその当時、スキー教師養成の頂点にあった、インタースキー会長のフランツ・ホッピッヒラー教授に呼ばれて、サンクリストフのブンデススポーツハイムを訪れた。教授は顔を合わせた瞬間に「ZIN、今スキーに大変なことが起きているぞ」と告げ、ある統計のレポートを見せてくれた。それは、オーストリアの有名な夏のスキー場ヒンタートックスのリフトに乗った人々の数のレポートであった。
1979年6月、ヒンタートックスの村から氷河のスキー場に向かう若者たちの60%がボーダーであった、とその情報は伝えていた。
「ZIN、これからはスノースポーツの世界は変わる。われわれも新しいスポーツの発展、そして普及に目を向けなければならない」と教授は語り、「オーストリアのスキー教師養成のカリキュラムの中にスノーボードを入れなければならないだろう」と語った。
その年から、オーストリアのスキー教師養成コースにボードの特訓が課せられることになった。
新しいスノースポーツ、スノーボードは年と共に拡大して行く様に見えた。ミュンヘンで毎年春開催されるISPO(国際スポーツ用品見本市)も、スキーメーカーのブースのわきにボードが並べられる様になった。


ハンディキャップスキー
この部分に120頁をさき、ハンディキャッパー用の用具が紹介されいる。

かなり難易度の高いアクロバットスキー

◆スキーの魅力の再確認

  “若者はボード、年寄はスキー”という時代が訪れていた。元気な若者たちによってスノーボードは年と共にアクロバティックなスポーツとなり、大人達のスキーフィールドを侵すようになった。
しかし爆発的に人気を拡大していた新しいスポーツは、この数年急速にその人気を失っている。今、ヨーロッパでは、この新しい雪のスポーツにとりつかれる若者の数は減少している。私がレポートした様に「スノーボードは消えてしまった。」と言える状況が生まれているのである。スノーボードに熱中していた若者たちは、再びスキーに回帰しているのである。スキー用具の革命的とも言える進化によって、スキーの魅力が再確認されたことが、その流れを生み出した。と私は考えている。
スキースポーツの再生は、新しいスキー用具、カービングスキーの開発によってもたらせられたものなのである。難しいスポーツ、スキーは、今では自転車に乗るよりやさしいスポーツとなった。

◆ヨーロッパのレンタルシステム

  ホッピッヒラー教授は、新しいスキーが開発される当時、「これからは、滑りたいコース滑りたい雪質に応じて、スキーヤーは何台かのスキーを持つようになるだろう」と語っていた。ゴルファーが何組かのクラブを持つような世界が訪れる、と予言したのである。
そうした贅沢な時代は確かに訪れたのだが、今、ヨーロッパのスキーファン達は全く新しいレンタルスキーのシステムによってそうした状況は解決した。私の住む、ホッホグーグルのスキー場では、レンタルスキーの契約を一週間以上すると、毎日違ったスキーを試すことができるシステムがあり、今日は踏み固められたコースを滑るからこのタイプのスキーを、明日は新雪が降りそうだからこのスキーを、といった契約ができるようになったのである。
そして、ある日数、いろいろ試して、「私にはこのスキーが合っているみたいだから」と言ってそのスキーを買うとすれば、それまでのレンタル料金を大幅に引いてくれるのである。
うらやましいシステムだといえるだろう。

新しい教程の発刊、新しい用具の普及、ヨーロッパのスキーは新しい時代に入る。
私のヨーロッパからのレポートに関心を抱いて欲しい。そして日本のスキー界も変わることを感じとって欲しい。

以上

※本原稿は昨年中にいただいておりましたが、掲載が1月になったことをお詫びいたします。

 


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