【連載33】6連覇の偉業を成し遂げた聖佳ちゃんとの約束 Shiga Zin


 ※連載33は、連載32からの続きとなります


第44回技術選手権大会 表彰式会場にて 嶺村選手と志賀さん

◆嶺村聖佳の6連覇は凄いこと

 苗場スキー場で行われた全日本スキー技術選手権大会は、今年で44回と数える。1965年の第7回インタースキーに送るデモンストレーターを選び出す選考会として開かれた大会は40年を越える長い歳月を越えて、今では日本スキー界の最大の行事になり、アルペン競技の全日本や国体といったイベントよりはるかに大きな影響を日本のスキーにもたらせているのである。
私は1963年の第一回から今年の44回まで、残らず観戦し、その大会の様子や、大会の持つ意味、そして感想といったものをスキー関係のマスコミに送り続けて来た。
ところが今年は、どこからも書けという要求はなかった。寂しいことだが老齢の私には何も期待するものがなかったと言うことなのであろうか。
技術選の最終日の夜、表彰式を終えて始まったパーティで、多くの人と話し合った。その中で、女子優勝の嶺村聖佳さんに6連勝のおめでとうと言って、「今まで技術選のレポートでは男の競争のことしか書いてなかったけど、6連覇はすごい事だから今年は女子の競争から書くよ」と約束した。
スポーツの世界では、同じ種目で6年間勝ち続けるということは大変なことなのである。他の全ての競技の世界の記録を見渡しても、柔道の谷選手・原田選手の2人しか見つけることは出来ない。それを嶺村聖佳さんは成し遂げたのである。


さすが本選女子1位 嶺村聖佳(長野)

◆予選で起きた驚くべき事実 〜 小野塚彩那

  聖佳さんの偉業を書き始める前に、3月14日の予選で起きた驚くべき事実を書いておかなければなるまい。激しく降りしきる雪の中で第44回大会の予選は始まった。4つの種目が進行していた。その予選の進行する中で驚愕のニュースが駆けまわった。
報道関係者の全てが、男子の予選に出場したナショナルチームの吉岡大輔に集中していた中で、とんでもない女の子が出てきたぞという声が聞こえてきたのである。小野塚彩那、聞いたことのない名前であった。午前中の2種目フリー総合斜面(ノーマルパック)で260点を出し、小回り中斜面(ノーマルパック)でも266点を出した。というのである。女子の予選では250点以上を出せばよしとする状況の中で2種目ともに260点以上というのは、とてつもない得点であった。いったいどんなスキーをする子なのか。
私は昼食の間、多くの人々に話しを聞いた。ただただ、”凄いですよ”という答えだけが返ってきた。慌てて、スタートリストを開いてみた。377番18才・学連1級とあった。
18才は若い。技術選に出場して来る選手たちが、何才ぐらいが多いか、などと考えながらスタートリストを見ていた。小野塚彩那の18才は学連推薦枠からの出場者5人の中でいちばん若い、そして、女子の出場者106人中には10代はわずか3人、男女合わせて出場者約300人の中でも5人しかいないのである。
私はその日の午後のレースを彩那ちゃんを見るために割くことにした。377番を追って、午後の二種目を見た。流れるようなスキー、走り、切れ、ともに申し分ない滑りであった。審判員の評価は266点、258点と出て、その日の予選を終わって1042点とトップ。2位の清水未来さんに11点の大差をつけていた。
初めから新しい時代の新しい用具を身につけ、新しい技術で新しいターンをする、そういった世代が生まれているということを私は感じとっていた。若い18才の彩那ちゃんは、これからどんなスキー人生を歩むことになるのか、大きな楽しみが生まれているのである。


予選 フリー1位 小野塚彩那選手

 

予選女子総合1位 フリー1位 小野塚彩那(学連)


◆優勝候補のトップと、新鋭との対決

 3月15日本選の日となった。
発表されたスタートリストを見て、これは困ったことになったぞと思った。嶺村聖佳が322番で女子の1班、小野塚彩那は367番で2班となっていたのである。優勝候補のトップと、新鋭との対決を同じ斜面、同じ種目で見較べようという目算は崩れた。仕方がない交互に見ることにしよう。本選、最初の種目、大回り総合斜面ノーマルパック、Dコートが使われた。
私は、この数年、体調を崩し、ほとんど外には出られない。苗場の組織委員会の人々は私にDコート、Eコートを一望出来る部屋を与えてくれた。部屋の中に居て、競技を上から見ることができるのである。そして、場内放送も充実していて、私は自分の部屋の窓からEコート、Dコートを見ることが出来た。
Dコートで見た、聖佳さん、彩那ちゃんの二人のスキーは魅力的なものであった。先に滑った聖佳の滑りには6連覇への輝きがあり、自信に満ちた静けさが感じとれた。スムースに弧を描き、流れる様に斜面を切りさき、まさに一級品といえる完成度にあった。261点が出た。私としては、その得点は、ちょっときついなーと思えるものだった。彩那のスキーは、切れと走り、とちらも申し分のないもの、同じ261点が出た。静と動、全く違った二人のムードだが審判団の出した評価は同じものとなった。5審3採用の今の方式では、突出した得点は出しにくい。私は近い将来、現在の審判員のあり方、そして審判方式に対する何らかの改革が必要であろうと思う。
この種目の1位は262点を出した秋田県の安部実和子になった。261点の2位に8人が並んだ。


本選 女子総合5位 小野塚彩那選手(学連)


本選 大回り総合斜面2位 嶺村選手

本選 大回り総合斜面2位 小野塚選手

 

本選 大回り総合斜面 女子2位 嶺村聖佳選手


本選 大回り総合斜面 女子2位 小野塚彩那選手

 



新人賞を獲得 小野塚彩那選手(学連)

◆あの子がオムツをしてハイハイしている頃には私はもう技術選に出ていた

 私の見にいけなかったFコートの小回り中急斜面ハードパックの結果が届けられた。嶺村265点で1位、小野塚は何と260点の5点差の14位とあった。何が彼女に起きたのだろうか。
「これで彩那の上位はなくなりましたね」と報道の誰かが言った。私は、「ひとつぐらいつまずいても彼女は上がってくるよ」と答えた。
午後の種目は総合滑降フリーと中斜面小回りウェーブとあった。総合滑降フリーの彩那のスキーはまさに圧巻であった。これ以上のスキーは女性には、と思わせるほどの見事さであった。267点と出てトップ。聖佳はそれに続く264点の2位。
最後の小回り種目では何と彩那はスタートからつまずいていいリズムに乗り切れずにゴール、260点23位と順位を落とすことになった。
私は、夜おそくなって成績表を手にした。1位は1068点で聖佳さん。7点差で超ベテランの中田良子さん、3位にこれもベテランと呼んでいい、昨年森君と結婚した森幸チャン。彩那ちゃんは1048点と5位となった。20点、絶望的な差がついた。
もしルールを変える時が来たら最小得点の種目をカットして4レース3採用としたらと思う。
中田良子さんが、「あの子がオムツをしてハイハイしている頃には私はもう技術選に出ていたんですよ」と言ったとか。私は17年間戦い続けるこのベテランに心からの敬意をはらいたい。


本選 フリー総合斜面1位 小野塚選手

本選 フリー総合斜面2位 嶺村選手

 

本選 フリー総合斜面 女子1位 小野塚彩那選手

 

本選 フリー総合斜面 女子2位 嶺村聖佳選手

◆嶺村聖佳の安定感が光っていた

 3月16日、雪はまだ降り止まず、コースを準備する役員たちは、きびしい作業が強いられた。準決勝4種目を終えて、1位は当然のように嶺村聖佳さんのものとなった。2位、6位,11位,2位は、圧倒的な強さというより、高い安定感と言っていい。2位に新婚の幸ちゃんが入り、3位に小野塚彩那が戻ってきた。急斜面大回りの1位が光っていた。三星佳代さんが3位、中田良子さんが4位と続いた。

 3月17日、最終日、決勝3種目が行われた。ここまで勝ち上がって来た選手は、男子62名女子20名となった。この人達が、日本のスキーを引っ張るリーダーなのである。
降り止まない雪の中で3種目が進行した。午前中に2種目、午後に最後の種目、大回りが行われる。
嶺村聖佳の安定感が光っていた。急斜面小回り2位、総合滑降5位、そして規制1位と上位を占めて総合得点は2939点。2位に20点差で三星佳代さん、3位2918点とわずか1点差で中田良子さん。注目の彩那ちゃんは、良子さんと同点の3位となった。


大会史上初の6連覇達成 嶺村聖佳選手と志賀さん

◆「これ以下には落ちない」とする長年の自信と勇気

 終わってみれば順位は順当。その通りとうなづけるものであった。聖佳さんの6連覇の戦いは終わった。彼女の2連覇までの他を圧倒する凄さは消えているのだが、一年、一年、安定感を増して、「あヽ今年も聖佳だな」といった思いを会場の誰にも持たせる抜群の力量を見せている。
何故、彼女のスキーは高い評価の中にあるのか、私は、「これ以下には落ちない」とする長年の自信と勇気がそれを支えていると見る。スキーグラフィックの解説をしている岸宏君が、見事な説明をしている。「5連覇で培った経験から彼女は、これ以下では駄目、ここはクリアしなければ駄目といった下限値をよく知っている。彼女自身としては不本意な滑りであったとしても、この下限値が他の選手より高いので、ジャッジする側も最高点は出さなくても全体的には高く評価するのだ」(スキーグラフィック5月号)と、岸宏君の評価、言葉使いのセンスをその通りと認めている。
私事になるが、私は宏君のお父さん岸英三さんを良く知っている。クルッケンハウザー教授一行が来日した時、日本のスキー教師のリーダーとして活躍、「蔵王の岸さん」とうたわれた名教師であった。私は親友の福山和男君と共にパラダイス・ロッジを基地とする名教師を訪ねていた。その息子の宏がサンクリストフに居ると知って、私は度々、サンクリストフを訪れている。岸宏君は、今、日本の基礎スキーのリーダーとして重い責任を負う立場に居る。英三さんは、スキー界のダンディと呼ばれ、また、ク教授の時代、ウェーデルンという技法の第一人者と呼ばれたフランツ・フルトナーとそっくりのウェーデルンの名手であった。その息子、宏の成長は私にはうれしい出来事なのである。
宏が、聖佳さんのスキーに与えた評価は、全く私の評価と似通っている。私はスキーグラフィックに掲載された、岸宏君の評価をそのまま認めるのである。


大会史上初の6連覇達成 嶺村聖佳選手

◆6年間、勝ち続けること。それが彼女に神が与えた試練と使命

 6年間、勝ち続けること。それが彼女に神が与えた試練であったとすれば、そしてその使命に気がついていたとすれば、聖佳さんの上にのしかかるプレッシャーは、どれ程重いものだったろうか。
彼女はそのプレッシャーを追い払うために ”楽しく滑る” ことを今年のテーマにしたと語った。私たちは、この6年間、表彰台の上で涙の聖佳さんを見てきた。だが、「楽しんで滑った」今年は、その目に光るものは見なかった。
”聖佳ちゃんおめでとう、そして来年も再来年も、美しい笑顔を見せておくれ”。

  女子のレースの話題はつきない。17年間戦い続けた中田良子さん。国体大回転優勝の新しい新星、三星佳代ちゃんの総合2位、書かなければならない2人が居る。頁がつきたので、その2人と何人かはこの次に書くことにしたい。ごめん、良子さん佳代ちゃん。(編集者:続編は本編33話後段に追加されております)


スタート直前 「静」 聖佳さんの上にのしかかるプレッシャーは、どれ程重いものだったろうか


スタート直前 「動」 ストレッチを入念にする 小野塚彩那選手

◆ルールの提案 ワーストを切り捨てる方式で選手はより思い切ったレースをする筈

 さて、改めてルールについて書いておきたい。それは文中に書いたように、本選4種目、準決勝種目4種目、そして決勝3種目、3日間で11種目というレースの数はかなり過酷である。その全種目を全神経を張りつめ緊張して滑らなければならない。そうした厳しさは、必ずどこかに破綻を招く。
それが成績順位にどう影響しているかは判らないが、プレッシャーを感じさせず安定した滑りを見せ、勝った聖佳さんにしても準決勝の急斜面の小回りにぐらついて11位261点という不本意な成績となっているし、総合2位の大回転競技を得意としている三星佳代さんも準決勝での大回り急斜面で転倒。41位252点と沈んでいるのである。
私はこの頁をかりて、ヨット競技のシリーズレースなどに定着している、ワースト点をカットする方式を採用したらどうかと提案する。
それは、全日本技術選手権大会の本選4種目からワーストの1種目を消去して3種目の合計点をとり、準決勝も4レース3採用、決勝も3種目2採用とするのである。
こうしたルールを採用すれば選手たちはより思い切ったレースをする筈である。このワーストを切り捨てる方式を採用すれば今年の女子の順位、得点は次のようになる。

◆ワーストを切り捨てる方式で試算
順位
選手
捨てる点数
その結果の総合点
嶺村聖佳
791
2143
三星佳代
777
2142
小野塚彩那
783
2133
中田良子
789
2129

 考えて見てはいかがだろうか。


ワーストを切り捨てる方式の詳細(この表はスキーグラフィック2007年5月号より転載)


第44回技術選手権大会 表彰式会場にて 中田選手と志賀さん

◆私は、嶺村聖佳の6連勝と並べて中田良子さんの17年を称えたい(追加原稿)

 「中田良子が上がってきた」そうした声が報道陣の中から聞こえてきた。準決勝の日の夕方である。「いちばん若い彩那といちばん年上の中田良子が同点で3位となった。」そのレポートがプレスルームに届けられたとき、私は、彼女の長い長い戦いを振返っていた。
17年という長い戦い、それは広く他の競技種目を見渡しても柔道の柔ちゃんぐらいしか思い浮かぶ顔がない。44回の歴史を積み上げる中で、岡田良子さん佐藤加代子さんといった長い間戦った女性の顔は思い浮かぶのだが、その記憶すら消えさせる大記録なのである。
しかも17年間戦い続けて今、なほ3位という成績を残せているのである。私は彼女のスキーに底知れぬ強さ、深さを感じると共に17年も追い続ける姿勢に感じ入るのである。
私は、嶺村聖佳の6連勝と並べて中田良子さんの17年を称えたい。


決勝 急斜面小回り 中田良子選手

 

決勝 小回り急斜面 女子1位 中田良子選手



女子総合2位の三星佳代選手と志賀さん

◆三星佳代 「かわいい」それ以上にスキーがうまい選手

 「すっごくかわいいですよ」「志賀さん佳代を見ましたか」「先生かわいい佳代さんと並んで写真を撮って下さい」どれ程の数の関係者にそう呼びかけられただろうか。
気にかけていたが、その美女に会ったのは最終日のパーティの時だった。かわいいと言うだけなら、過去にも何人も居た。だが三星佳代さんは、それ以上にスキーがうまい選手であった。
本選では4位、嶺村、中田、森につぐ成績。中でも小回り(中斜面ハードパック)の264点が光っている。同点1位となった嶺村、森とわずか1点差であった。2人とほぼ同等の力といえるはず。
準決勝には、総合滑降フリー(ナチュラルウエーブ)、大回り(急斜面ノーマルパック)2つの大回り系の種目がある。国体大回転優勝の佳代にとっては点数のかせぎどころと見ていた。「今日、佳代は上がってくるよ」私は、そう周囲に語っていた。
ところが、「佳代が転んだ」というニュースが飛び込んできた。その夜渡されたリザルトには、252点で41位とあった。それは、「得意種目で何故」という疑問が残ったが、フリー(総合斜面ナチュラルウエーブ)、中回り(中斜面ハードパック)の2種目に、4点差3点差をつけての第1位との記載があって、あヽやっぱり佳代の力は本物なのだと納得した。
決勝3種目は6位5位2位と無難な成績で嶺村につぐ総合2位となったが、前に私が提案した採点法によれば、嶺村、三星の点差はわずか1点なのである。


準決勝 フリー総合斜面 三星佳代選手

 

準決勝 フリー大回り総合斜面 女子1位 三星佳代選手

 

準決勝 大回り急斜面 女子41位 三星佳代選手

 

◆女子選手にとっての年齢の壁はどのあたりにあるのか

 中田良子さんの17年連続出場、そして今回の総合3位が輝かしいものだと拍手を送ったが、私はここで一寸横道にそれて、女子選手にとっての年齢の壁はどのあたりにあるのかを考えてみたい。
本選の出場者80名の中で30才以上は23人。その内31才を超えているのは12名となっている。そして総合成績を見ると20位の中に30才以上で8人、31才以上は3人となる。
女子選手の場合30才がひとつの壁になっているようだ。「とにかく30までは頑張ってみよう」といった意識、それを超えても、さらにモチベーションを維持するのはかなり難しいといったところだろう。「私も30になった。もうこの辺でいいだろう。良く頑張れたと思う」といった思いが、この30才という節目に訪れるのだろう。
そうした自分たちの心の中に訪れる30才という壁よりもきびしいのは、「何でその年までそんな事やってるの」といった言葉、そして「そんな事いつまでもやっていると結婚できなくなるよ」といった冷たい視線なのかもしれない。

以上

 


連載「技術選〜インタースキーから日本のスキーを語る」 志賀仁郎(Shiga Zin)

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※使用した写真の多くは、志賀さんが撮影されたものです。それらの写真が掲載された、株式会社冬樹社(現スキージャーナル株式会社)、スキージャーナル株式会社、毎日新聞社・毎日グラフ、実業之日本社、山と渓谷社・skier、朋文堂・スキー、報知新聞社・報知グラフ別冊SKISKI、朝日新聞社・アサヒグラフ、ベースボールマガジン社等の出版物を撮影させていただきました。

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