【連載47】日本スキー教程はどうあったらいいのか(その3) Shiga Zin


※連載46話からの続きです


横浜クインズイースト 魚力で志賀さんと夫人 2008/5/17

◆今、日本は新しい教程を作る極めて大きなチャンス

 今、日本は新しい教程を作る極めて大きなチャンスに来ている。前回、私はそう書いた。日本のスキー界が再び世界に認められるために、今企画されている教程改訂がどれほど大きな意味を持っているのか、それは世界のスキーから40年50年後れさせられた呪縛からようやく開放されて、明日を見る目が開かれたということから来ているのである。
長い長い大熊さん、菅さんの時代が終わり、若い気鋭の平川仁彦さんに教育本部長がかわった、ということが、それ程大きな期待を抱いていることなのか。私は今、わくわくする思いで教程改訂の作業を見守っている。
何から手をつけたら良いのか、そして何を教程に盛り込むのか、今、新しいメンバーになった教育本部は協議を続けているはずである。私は、老婆心ながらいくつかのアドバイスを送りたい。


1983年、私の友人であった、名教師デモンストレーターであった ルッギー・シャラーの参考書
シーラウフインオーストライヒ
ルッギーは、この本を発刊して間もなく、不幸な交通事故で死亡した。

◆多くの人々の意見を集約すること

 その第一は、多くの人々の意見を集約することであろう。そして海外のスキー先進国の教程を時間をかけて分析すること。
長い間日本のスキーに大きな影響を与えて来たオーストリアの1955年教程が何故廃棄されたのか。何故日本はそれに気づかなかったのか。1968年のアスペン以降のオーストリアの流れ、そして1971年の新教程の考え方、さらに1974年の再改訂、1980年のシュビンゲンの発刊、さらに1982年のルッギー・シャラーの指導書、1997年に発表されたもの、そして2007年改訂された最新の教程SNOWSPORT AUSTRIA 、それらを精査すること。
フランス、イタリア、ドイツなどスキー先進国の教程からも学ぶことも必要だろう。こうした作業を進める間にも、日本の教程、日本のスキーの流れを慎重に分析してみることも重要な作業となるはずである。
平川さんを中心とした新しい教育本部はじっくりと時間をかけて、新教程作りに取組んで欲しい。急ぐことはない、40年50年の後れを取り戻すためには時間が必要なのである。

1997年ホッピッヒラー教授の名前で発行された、つい最近まで使われていたスキー教程

シュテム・シュブング


パラレル・シュブング 曲げてまわして伸ばしてまわす

◆技術的な視点からシュテム・シュブングをどうするか

 技術的な視点から見ると、新教程作成の作業の中で最大のポイントは、シュテム・シュブングをどうするかにある。1968年インタースキーで発表されたオーストリアの新提案は、シュテム・シュブングの廃棄であった。それ以降世界のスキー先進国は、シュテム・シュブングを重視する国はない。
今、シュテム・シュブングを教程の中に重要な技法として残している国は日本だけなのである。何故シュテムは消えたのか。それを探ることは、新しいスキーの方向を見定める上で極めて大きなテーマになるはずである。
日本では、それは困難な作業になると予想される。それは今も使われている日本の教程は、この技術を中心に組み立てられているからである。
1955年の古いオーストリアの教程はシュテム・シュブングをどう教えるか、どう学ぶかをテーマに構成されて来た。しかし、その整然と組み上げられた技術構成が、スキーの上達を押し止めるとする意見が1960年代後半に多く発表され、オーストリアスキーは窮地に追い込まれたのである。それへの回答として、オーストリアは何と一挙にシュテム・シュブングを廃棄してしまった。その時、シュテム・シュブングに変わる基礎的な技法としてグルンド・シュブングを中心にした新しい考え方を採用してみせた。
世界は一気に新しい教程へと加速して行った。だが、日本だけが旧教程への信仰を捨てなかったのである。


1974年発刊された「オーストリアのスキー学校」美しい本である。
多くの頁をグルンド・シュブングにさいている


グルンド・シュブング

初めて公開されたヴェーレンテクニック

◆ヴェーレン・テクニックの発表と日本の曲進系

1970年代、世界のスキーは激動の時代に入っている。そのキッカケとなったのは1970年サン・クリストフで突然発表されたヴェーレン・テクニック(波の技法)である。当時どこのスキー場も急斜面は深いコブに覆われていた。そうした斜面を滑る技法としてフランスのジョルジュ・ジュベール教授の提唱したアバルマン技法(のみ込む技法)が有効であるとする理解が浸透していたが、スイス、ドイツ、イタリアといった国々で、そのアバルマン技法が採用されようとしていた。日本でも1968年から熊の湯のパンチョこと佐藤勝俊の深雪、悪雪での技法の研究が始まっていた。
当時の教育本部長だった西山実幾さんのパンチョターンの研究は後に曲進系技法と呼ばれる日本の前衛技法となった。
世界中の国が、沈み込み技法と呼ぶ新技法に舵を切ったのである。そして1971年のガルミッシュの第9回インタースキーはその前衛技法の競演となった。そしてそのインタースキーで日本のスキーは高い評価を受けた。だが、その技法へのより深い研究は教育本部長の交代で消えたのである。

◆シュテム・シュブングの廃棄と共に曲進系の研究再開

 今、シュテム・シュブングの廃棄と共に曲進系の研究再会という教程改訂への道すじが見えている。オーストリアがシュテム・シュブングを廃棄して新たにグルンド・シュブングという基礎的な技法を採用したということの裏には極めて大きな指導理論の変更があった。
それは古い1955年の教程が、歩くこと、直滑降、斜滑降→プルーク、プルーク・ボーゲン→プルーク・シュブング、シュテム・ボーゲン→シュテム・シュブング→パラレル・シュブング→ウェーデルンと、段階的に技術が積上げられる、段階的指導法に沿って作られていたのだが、1971年の新教程では、歩くこと、直滑降、斜滑降、プルークからグルンド・シュブングに発展し、そこから、パラレル・シュブング、ウェーデルン、ウムシュタイク・シュブングと同列に並べて技術の巾を広げる、横並びの指導法をなっている。(1971年教程の図解)トータルスキーイングと呼ばれる思想なのである。
今だ古いオーストリア教程を信奉する日本スキー界は、そうした教育思想の面でも40年以上世界から後れているはずである。

◆オーストリアスキー教程の中核をなすグルンド・シュブングとは

 さて、それでは、オーストリアスキー教程の中核をなすグルンド・シュブングとはどんな技術なのだろうか。
1971年の新しい教程を発表するとき、クルッケンハウザー教授は次の様に紹介している。「私たちは新しい教程をどう作ったらいいかを考えた時、全く何も教えない子供たちが、どんなターンを生み出すのかを観察してきた。そうした観察の中で子供たちがやるターンの技法に大きなヒントをつかんだ。
子供たちは、例外なく、ターンに入る時、両方のスキーのテールをひらき、立ち上がりながら、フォールラインに滑り込んでいた。そして両膝を前方にたたみ込む様に曲げ新しい方向に向けてターンを完成していた。それが私たちが明日発表する新しい教程の基礎となると確信できた。私たちは、この子供たちによって発見したターンを、グルンド・シュブングと呼ぶことにした。」
グルンド・シュブングは子供たちが自然に身につけたターンの技法であった。私たちは、そのグルンド・シュブングのヒントとなった子供たちの技法を1968年のアスペンの第8回インタースキーで見せられたのである。
私たちはアスペンで、可愛い子供たちのスキーに拍手を送ったのだが、その子供たちのスキーにオーストリアは新しいスキー教程への布石を打っていたのである。


1971年発刊された新オーストリア・スキー教程
前年発表されたッヴェーレンテクニック(波の技術)が表紙に使われている

新教程の体系図
ここにはシュテム・シュブングはない。グルンド・シュブングが中心である。

子供の初歩的はグルンド・シュブング
大人のグルンド・シュブングの後半

完成されたグルンド・シュブング ここから直接パラレル、ウェーデルン、
ウムシュタイク・シュブングへと進化する

グランド・シュブングが進化するという図解

◆1971年のオーストリアスキー教程はその道を開いた

 クルッケンハウザー教授は、新教程の発表の場で、「新しくスキーを習うスキーヤー達は最初のターンにかなりの恐怖心を抱くはず。その恐怖を除いてやることが、スキー教師の仕事となる。そこで、斜滑降からフォールラインにスキーを流し込むには、立ち上がって両スキーのテールを押し開くことが、いちばんやさしいターンの方法となるはず。そうして、どうにかターンに成功すればそのスキーヤーは、次の段階に進むことができるはず」とグランド・シュブングの有効性を説いてみせた。今ヨーロッパでは、グルンド・シュブングを身につけさせるのがスキー教師の仕事となっている。グルンド・シュブングさえ出来れば、それから先のウェーデルン、パラレル、ウムシュタイク・シュブング(交互操作のシュブング)は、それ程の苦しみをともなわないで出来るようになるのである。
1971年のオーストリアスキー教程はその道を開いたということに意義があるのである。

◆グルンド・シュブングの普及によってヨーロッパのスキー風土は変わった

 それから30年、ヨーロッパではスキーはさして難しいスポーツではなくなった。最近、日本からヨーロッパ、アメリカ、カナダのスキー場を訪れるスキーツアーの人々が多くなった。その人々が驚くのは、スキーをするお年寄りが多いこと、そしてそれらの人々が実にスキーがうまいこと、ではなかろうか。70才80才のオジーサン、オバーサンたちが、全てうまいスキーヤーであるという事実は、日本から訪れるスキーヤーたちにとって驚異といっていい。
日本では、スキーのうまいのは若い世代の人々だが、ヨーロッパではお年寄りがうまいと感心することがあるはずである。
そのお年寄りたちが、若い時からスキーをやって来た人達ばかりではない。定年後にスキーを始めた人達が多いのに驚かされる。それは、グルンド・シュブングが浸透して来たことに由来していると見ることができる。グルンド・シュブングの普及によってヨーロッパのスキー風土は変わったのである。

◆問題の全てに配慮したものにならなければならない

 日本でも、シュテム・シュブングを廃棄して、グルンド・シュブングを採用するということが出来れば日本のスキーも一気に近代化することができるはずではあるが、それには極めて大きな障害がある。日本のスキー界にだけある、バッヂ検定という制度なのである。
日本人は、剣道、柔道という古来からのスポーツにある段という習得したレベルに応じた資格制度があるのだ。そうした検定制度をもうけている。スキーでも1級、2級という技術のレベルに応じた検定制度がある。その判定の基準となるのは、シュテム・シュブングなのである。

 新しい日本スキー教程を作るという作業は、そうした問題の全てに配慮したものにならなければならない。新しい教育本部の人達に、勇気を持って古い殻を打ち破る発想を持って欲しいと願っている。

(編集者注:現在級別テストの種目にはシュテム・ターンはありません。現教程では、テールコントロール技術のカテゴリーで、雪山を容易に移動できる独立した技術としてシュテム・ターンを位置づけています。パラレルへの発展系は、最新の用具を利用した最初からパラレルの習得を目指す「パラシュート、はしご方式」と、プルークからプルーク・ボーゲン、そしてプルーク・ターンからパラレルへと順次修得していく「階段型」など多様な道筋をしめしています)

 


連載「技術選〜インタースキーから日本のスキーを語る」 志賀仁郎(Shiga Zin)

連載01 第7回インタースキー初参加と第1回デモンストレーター選考会 [04.09.07]
連載02 アスペンで見た世界のスキーの新しい流れ [04.09.07]
連載03 日本のスキーがもっとも輝いた時代、ガルミッシュ・パルテンキルヘン [04.10.08]
連載04 藤本進の時代〜蔵王での第11回インタースキー開催 [0410.15]
連載05 ガルミッシュから蔵王まで・デモンストレーター選考会の変質 [04.12.05]
連載06 特別編:SAJスキー教程を見る(その1) [04.10.22]
連載07 第12回セストのインタースキー [04.11.14]
連載08 特別編:SAJスキー教程を見る(その2) [04.12.13]
連載09 デモンストレーター選考会から基礎スキー選手権大会へ [04.12.28]
連載10 藤本厩舎そして「様式美」から「速い」スキーへ [05.01.23]
連載11 特別編:スキー教師とは何か [05.01.23]
連載12 特別編:二つの団体 [05.01.30]
連載13 特別編:ヨーロッパスキー事情 [05.01.30]
連載14 小林平康から渡部三郎へ 日本のスキーは速さ切れの世界へ [05.02.28]
連載15 バインシュピールは日本人少年のスキーを基に作られた理論 [05.03.07]
連載16 レース界からの参入 出口沖彦と斉木隆 [05.03.31]
連載17 特別編:ヨーロッパのスキーシーンから消えたスノーボーダー [05.04.16]
連載18 技術選でもっとも厳しい仕事は審判員 [05.07.23]
連載19 いい競争は審判員の視点にかかっている(ジャーナル誌連載その1) [05.08.30]
連載20 審判員が語る技術選の将来とその展望(ジャーナル誌連載その2) [05.09.04]
連載21 2回の節目、ルスツ技術選の意味は [05.11.28]
連載22 特別編:ヨーロッパ・スキーヤーは何処へ消えたのか? [05.12.06]
連載23 90年代のスキー技術(ブルーガイドSKI’91別冊掲載その1) [05.11.28]
連載24 90年代のスキー技術(ブルーガイドSKI’91別冊掲載その2選手編) [05.11.28]
連載25 これほどのスキーヤーを集められる国はあるだろうか [06.07.28]
連載26 特別編:今、どんな危機感があるのか、戻ってくる世代はあるのか [06.09.08]
連載27 壮大な横道から〜技術選のマスコミ報道について [06.10.03]
連載28 私とカメラそして写真との出会い [07.1.3]
連載29 ヨーロッパにまだ冬は来ない 〜 シュテムシュブング [07.02.07]
連載30 私のスキージャーナリストとしての原点 [07.03.14]
連載31 私とヨット 壮大な自慢話 [07.04.27]
連載32 インタースキーの存在意義を問う(ジャーナル誌連載) [07.05.18]
連載33 6連覇の偉業を成し遂げた聖佳ちゃんとの約束 [07.06.15]
連載34 地味な男の勝利 [07.07.08]
連載35 地球温暖化の進行に鈍感な日本人 [07.07.30]
連載36 インタースキーとは何だろう(その1) [07.09.14]
連載37 インタースキーとは何だろう(その2) [07.10.25]
連載38 新しいシーズンを迎えるにあたって [08.01.07]
連載39 特別編:2008ヨーロッパ通信(その1) [08.02.10]
連載40 特別編:2008ヨーロッパ通信(その2) [08.02.10]
連載41 シュテム・ジュブングはいつ消えたのか [08.03.15]
連載42 何故日本のスキー界は変化に気付かなかったか [08.03.15]
連載43 日本の新技法 曲進系はどこに行ったのか [08.05.03]
連載44 世界に並ぶために今何をするべきか [08.05.17]
連載45 日本スキー教程はどうあったらいいのか(その1) [08.06.04]
連載46 日本スキー教程はどうあったらいいのか(その2) [08.06.04]
連載47 日本スキー教程はどうあったらいいのか(その3) [08.06.04]

連載世界のアルペンレーサー 志賀仁郎(Shiga Zin)

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※使用した写真の多くは、志賀さんが撮影されたものです。それらの写真が掲載された、株式会社冬樹社(現スキージャーナル株式会社)、スキージャーナル株式会社、毎日新聞社・毎日グラフ、実業之日本社、山と渓谷社・skier、朋文堂・スキー、報知新聞社・報知グラフ別冊SKISKI、朝日新聞社・アサヒグラフ、ベースボールマガジン社等の出版物を撮影させていただきました。

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